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2010年1月 6日

プリンス・ロジャース・ネルソン

プリンス・ロジャース・ネルソンはジャズミュージシャンを両親に持ち、音楽とともに育った。その少年期はさまざまな逸話に包まれている(そのいくつかはプリンス本人によって話題作りのために広められた)。その最たるものが「プリンスの父親が黒人で母親が白人である」ということであるが、実際には両親ともに黒人である。しかし、アメリカ人の多くがそうであるように、プリンスも多様な民族の血を引いており、特に彼の風貌や才能からして、インド発祥のジプシーの遺伝が多いとの説が有力である。

ジュニアハイスクール時代に友人や従兄弟らと共にバンドを結成したプリンスは長じるにつれ頭角を現し、ミネアポリスサウンドと呼ばれるムーブメントの中心的存在として注目を受けるようになる。

メジャーレーベルはこぞってこの才能に溢れた少年との契約を望んだ。そして、1977年に数社の入札の結果、ワーナー・ブラザーズと契約。19歳の少年としては異例の高額な契約金とセルフ・プロデュースの権利を同時に獲得する。

新人時代
1978年、プリンスはたった一人でデビューアルバム For you を作り上げ、そのメジャーキャリアをスタートさせる。ビルボードチャートは163位に終わるものの、シングルカットされた Soft And Wet はR&Bチャートをにぎわせた。

1979年、バックバンドを集めるものの、やはりアルバム作成はほぼひとりでやってのけ、セカンドアルバム Prince を発表。キャッチな曲として Why You Wanna Treat Me So Bad、I Wanna Be Your Lover がR&Bチャートでヒットとなった。なおI Wanna Be Your Loverは全米シングルチャートでも最高位11位にランクされる大ヒットとなり、一躍その名を世間に知らしめることとなる。日本で発売されたアルバムはこれが最初のものとなる。

1980年には Dirty Mind を発表。本来発表するつもりのないデモテープであったが、マネージャーの勧めで発表することになった。また、Head と Sister の詞が性的に露骨過ぎるという理由で放送禁止曲になることで話題を集めた。しかし、そのためにセールス的には前作を下回ってしまった。

1981年には Controversy を発表。同名シングルがインターナショナルチャートにランクインする。また同時期にザ・タイムのデビューアルバムをプロデュースする。クレジットはされていないが、実際には作詞作曲演奏のすべてを行っている。この他にもヴァニティ6(アポロニア6)、シーラ E.などをプロデュースし、プロデューサーとしてもその非凡さを証明する。また、シーナ・イーストンやバングルスなど他の歌手への楽曲提供も少なくなく、さらにはプリンスの曲をカヴァーするアーティストも多く、ケイト・ブッシュ、チャカ・カーン、トム・ジョーンズ、シネイド・オコナーなどが代表格。日本では白鳥英美子や矢井田瞳がNothing Compares 2 U をカヴァーしている。この時期に、ローリング・ストーンズの前座としてツアーを行っており、公演によっては、物を投げつけられるなどの客からのブーイングを受けた。当時ストーンズの楽屋を訪れたデイヴィッド・ボウイが、トイレで泣いている彼を見掛けたため、以後は自身のツアーに前座をつけることをやめたというエピソードが残っている。


『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
プリンス・ロジャース・ネルソンの歌声は最高ですね。

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